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Ecological Urban Unit
Shinichiro Ishikawa
エコロジカルアーバンユニット
-自律分散型アーキテクチャーによる都市循環システムの提案-
研究の背景として、建築に対する二つの問いがある。一つは建築とは何か?という建築そのものを考える内部性に関わるものであり、もう一つは、建築はどうあるべきか?という建築の周縁にある物事との関係に関する外部性に関わるものである。建築における様々なムーブメントにおいて、パラダイムと成り得なかったものは、内部性や外部性に対して偏った探求がなされたものと考えられる。ここでは内外の両方の探求によってこそ、建築が浮かび上がってくるものと考え、両方の探求の試みとして、設計提案を行うものである。建築の内部性については、Peter Eisenmanの研究が指針を与えてくれた。外部性については、現代社会の大きなテーマである、地球環境との関係で建築を捉えることを試みる。
Peter Eisenmanの研究では、西欧建築においては人と建築/空間の連続性に重点が置かれ、探求されていることを学んだ。その連続性を獲得するために、初期のハウスプロジェクトでは建築の内部性について、Arnoff Centerの研究では建築の外部性(Site、Texts、Mathematics、Science)についての試みがあり、それらは、ヒューマンスケールの延長や数比の利用により建築を構築することで図と地の二項対立が生まれることの批判から、choraやfoldingの概念による境界を曖昧化する手法や、言語化されたプロセスとしてのdiagramやその深層にある美に対する概念を捉えることができた。
こうした手法や概念は、現代のテクノロジーの使われ方が、表層的な連続性だけに囚われていることの批判としても捉えることができる。こうした現代のテクノロジーの在り方について、Smart Cityの研究では、トップダウン的にすべてを構築し、コンピュータによって行うことの問題を浮き彫りにした。これを解決する方法として、自律分散型としての計画に可能性があると考察した。
現代社会における建築の周縁をめぐる問題として、都市と地球環境の問題を採り上げる。様々な都市が発展を遂げている中で地球環境レベルの問題に及んでいることが知覚され出したのが水質汚染である。管理が行き届かず流れ出た生活排水や海洋プラスチックは生態系へ大きなダメージをもたらしており、海洋ゴミを回収することは必要不可欠である。同じように、人間環境において知覚されないこととして、災害がある。人間的尺度を超えた災害によって変えられた人間及びその環境といった現実は以前の状態には戻らないような、トラウマ的空間に対して建築はどのように向き合っていくべきか考察する。
人間は自身の存在を確立するために建築によって人間社会を構成している。しかし、人間社会を構成するために建築がつくられるほど、地球環境が悪化していく現実が存在する。この人間社会と地球環境の破綻した関係性に対して、お互いに補完しあうような関係、すなわち、循環型のシステムが必要である。
ユニットは、地上といった固定された場ではなく、海上という常に環境が変化する場において、常にその形態を変化させ、環境に適応するフォームを構成し、現存する都市から排出されたネガティブなものを解消し、地球環境と人間社会の繋がりを持たせるものである。海面に浮遊し、波の上下の揺れで発電コアを動かすことで電力を発生させる。普段はパブリックスペースとして利用され、緊急避難場所としての利用を可能とするものである。
ユニットは2種類からなり、ゴミ回収/波力発電/パブリックスペース/植物プラントの機能をもつものと、回収したゴミを焼却する機能をもつものがある。ユニットは7組で1セットの役割を果たし、上部のフレームによって連結される。フレームの関節部が自由に角度を変えられるため、潮の流れによって自由に回転/移動を行うことが可能である。フレーム内部で電力を供給し、ゴミ焼却ユニットの動力として利用され、余った電力は隣接する都市へと供給される。一例として、海洋汚染の著しい香港の沖合に計画した。
ユニットのシステムやその動きとして建築に連続性を持たせ、常に環境そのものが変化する場において、その形態を変化させることで環境に対応する建築は、建築の内部性の課題に対して、形や場所との関係として固定化されていく建築に対する批評性を持つことが期待される。
また、集合と分散を自律的に繰り返しながら海洋汚染を循環的に解消し、隣接する都市環境を補完していく関係を築いていく建築は、建築の外部性に対する課題への応答となり、両方向の試みによって、来るべき社会における建築という存在が浮上することが期待される。